共に生き、共に歌い続ける
2020年秋、北海道の白老にあるコタン(村)を訪れた。民族共生象徴空間「ウポポイ」である。ウポポイはアイヌ語で「大勢で歌う」という意味だ。ここではアイヌの暮らし、アイヌが奏でてきた音、アイヌが考えた世界観などを、アイヌを祖先に持つ人達が中心となって受け継いでいる。日本においてアイヌ語の母語話者がほとんどいなくなりアイヌ社会が歴史の中に消えようとしているにも関わらず、アイヌ文化を継承する場が生まれたのは何かしらの意図があるのだろうか。
民族が別の民族を敵視し、攻撃し、利用し、あるいは互いに傷つけ合う、そうした場面はどの時代にもどの地域にもあり、今でも地球の至る所で続いている。こうした歪みは日本でも生まれた。江戸や明治に入って北海道開拓が進むと和人(アイヌ以外の日本人をアイヌと区別する時に使われる呼称)によるアイヌ差別と同化政策が進行した。私が北海道の網走で出会った女性は、小学生の頃に母親から祖母がアイヌであると告げられ、その事仲の良い友達に話した。次の日から距離を置かれ、時には貶され、時には石を投げられたこともあったという。こうした中でアイヌの人たちは次第に出自を隠し、アイヌの社会や文化を捨てて日本人として生きるようになった。
ウポポイに行った1ヶ月後に東京の日本民藝館でアイヌ文化の作品が展示されていると聞いて見に行った。独特な文様の入った衣装、刀掛け、首飾り、どれも見事だった。しかしそれらはアイヌ社会が無くなった後の「遺されたアイヌ」であり、私にはどこか寂しそうに見えた。ウポポイでは人が楽器を奏でて踊り、人が衣装を縫い、人がチセ(家)の中で語らうなど「生きているアイヌ」として感じられたのとは反対に。
今でもアイヌの人々への偏見や差別は完全には無くなっていない。それでもアイヌを否定するのではなくアイヌと共生する方向へと動きが大きく変わった。その中でウポポイは単なる博物館・美術館の枠に収まらず、人が大きく関わる形をとった。これが文化を残していく上で重要になってくる。文化は人間なしには生まれないし、人間が関わって活かさないと文化が生きる意味は見出せない。冒頭でウポポイには「歌う」という意味があると述べたが、人がいないと成り立たないのは歌も同じである。皆が関わって繋げていく、ウポポイにはそういうメッセージが込められているのではないか。
グリーンブックを観て
『グリーンブック』は実話を元にしたストーリーで、人種差別の影響が強く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ピアニストとイタリア系男性の友情を描いた作品だ。昨年の「第91回アカデミー賞」にて作品賞を受賞した。
この映画を観終わると、黒人がいかに冷遇されているかを理解するというよりは、白人が黒人に対して心を開いていくプロセスを描いているように感じ、「白人目線」の映画だと批判的に感じた自分がいた。
しかし、この映画からは私たちが暮らす日本が抱える問題と共通する点を読み取ることもできるのではとも感じた。映画では、黒人のシャーリーが服の試着を断られる、白人と別のトイレやレストランを使用させられるなど、黒人差別の被害を受けるシーンがたくさん見受けられる。そのシーンの中で、服屋やレストランの店員はシャーリーに理由を尋ねられると、「決まりだから。」と何度も答える。私はこのセリフから、映画の中の白人たちは意識的に差別しているというよりは、無意識に差別的な行動を取っているのではないかと感じた。
異なるバックグラウンドを持つ人々に対するする無意識の差別というと、日本にも形は違えど、関連するような問題は存在するのではないだろうか。例えば、最近は段々と減ってきているが、日本人の中には、日本で生活していたり、仕事や旅行で訪れる外国人のことを何気なく「外人」と呼ぶ人がいる。「外人だから日本語はわからないだろう。」、「外人だから日本のマナーもわからないだろう。」と。この「外人」という言葉には、日本人であるか、そうでないかという2択で日本人でない人を一括りにするような概念が存在する。このような身近な事例を考えると、黒人差別問題に対する見方も、外国の問題という感覚から変わってくるかもしれない。
もう一つ気になったのは、「黒人でも白人でもない自分は何者だ?」というシャーリーのセリフだ。肌色は黒ではあるが、高度な教育を持つピアノの天才であるシャーリーのステレオタイプは黒人のものではない。彼は、自らのアイデンティティに疑問を持ち、どちらにも所属できない孤独を常に感じる。
ひょっとしたら、日本における移民二世もこのような自己認識の揺らぎを持つではないか。日本で生まれた彼らは、日本人と同じような語学力や文化への認識を持つが、家庭内の文化と言語はホーム社会のままであることが少なくない。特に、子供時代の自己認識を形成をしていく中で、エスニック・マイノリティーというアイデンティティーをどう受け止めるかに葛藤を持つ移民二世が多くいる。仮に日本社会がマイノリティーに対するマイナスなイメージななければ、彼らの困惑はもっと解消しやすくなるだろう。
※Green book
グリーンブックは、米国で1960年代まで使われた黒人用ガイドブックのこと。当時の米南部はジム・クロウ法のもと、有色人種の血が一滴でも混じった人は、ホテルもレストランも公共交通機関も、白人と別々でなければ利用できなかった。そこで、郵便配達人だったニューヨーク出身の黒人、ヴィクター・H・グリーンが、黒人が泊まれるホテルや食事ができるレストランなどを本にまとめ、グリーンブックと呼ばれるように。人種隔離の厳しい公共交通機関を避けて車を使うことが増えた黒人などの間で、広く使われるようになったという。
1、近くて遠い隣人
数回にわたり、「在日外国人の今」というテーマでお届けする。初回となる今回の舞台は群馬県の大泉町。大泉町周辺は、SUBARUやPanasonicなどの大工場があることを背景として、日系ブラジル人が集住していることで有名な地区だ。
大泉町と私の地元は県境を隔てて隣接している。にもかかわらず、双方を結ぶバスは一日に10本となく、朝夕を除けば2時間に1本という程度。私にとっては小さい頃から「近くて遠い隣人」だった。恥ずかしながらその「隣人」に対して関心を持つきっかけは、高校の授業で、大泉町が「日系ブラジル人との共生を実現しかけている町」として紹介されていたことにある。特に地元の高校に進んでいない私が、隣町の思いもしない情報を全く関係のない地域で知った恥ずかしさ。それがのちに取材をする動機となる。
私の地元、埼玉県北部の市から車で30分、西小泉駅に到着する。まず飛び込んできたのは、ポルトガル語をはじめとした多言語表示の案内板だった。駅を出ればすぐに日葡両語(「葡(ぽ)」はポルトガルを意味する。以下同じ)で書かれた個人商店の看板が目に入る。これが本当に私の隣町か?と疑ってしまう光景だ。小さい頃に訪れていたはずだが、当時の私にはこの日葡バイリンガル表記はあまり響かなかったのだろうか?そう思うほどまでに、寂れかけたその街の雰囲気と、日葡両語の看板が連続する光景はミスマッチだった。
一通り街を歩き、駅前に戻りかけていた時のことだ。そろそろ見慣れてき日葡バイリンガルの街の中に、思わず写真を撮りたくなる光景があった。ポルトガル語のみの値札が並ぶ、個人経営の八百屋だ。聞けば、経営しているのは、元々この町で八百屋を営む高齢女性であるという。コツコツとポルトガル語での野菜の呼び方を覚え、新たな「隣人」―そう、日系ブラジル人―の方々が安心して購入できる環境を整えてきたと言うのだ。
その後訪ねた観光協会の職員の方は「大泉町での共生はまだまだだ」とおっしゃった。確かに「隣人」に対して心無い言葉をかける人々は存在しているし、教育面や待遇面での格差は存在している。しかし、この小さな八百屋は確実に、共生の方向性を示しているのではないだろうか。私がかつてそうであったような「無関心」から脱却し、相互に理解するよう努めること。八百屋は我々に対して「共生」の在り方を問いかけているように思えた。
黒人差別は対岸の火事なのか
(参照: https://www.magichour.co.jp/iamnotyournegro/)
トランプ政権がスタートした2017年にアメリカでヒットし、日本では2018年に公開された後、2020年に再上映されたこの作品。
1960年代のアメリカの黒人差別と公民権運動のリーダーだった、メドガー・エヴァース、マルコムX、キング牧師の暗殺についてのドキュメンタリー作品である。
黒人差別について知るという目的でこの作品を選び見た私は、想定していたのと違う感想を持つことになった。
「黒人差別って、今の日本の構造と似ている。」
アメリカの歴史について見てきたはずなのに、いつの間にか今の日本について考えている私がいた。
「黒人が労働をして支えてきた経済の上に白人がいる」
作品の途中で語られるアメリカの構造である。
これは「自国民のみでは賄いきれない分野を外国人労働者が支えている」という現代の日本の構造に近しいのでは、と思いが浮かぶ。
日本でも労働をする外国人に対して行政は優しくないじゃないか、と。
実際に、いわゆるブルーカラーの職種で就職することを限定されている技能実習生の多くに対して、コロナ禍では解雇が多発した。
表向きは「自主退社」という形だが、彼らのこれからについての保障は不十分のままだ。行政は国を支えている外国人労働者に対して優しくない。
さらに、作品の中でアメリカに限ったことではないと思わされた瞬間がある。
「近い将来に、黒人の大統領が生まれる可能性がある。」
作品の中で取り上げられたロバート・ケネディ元司法長官の発言である。
一見、黒人にも政治が開かれる黒人解放宣言のように聞こえる。
しかし黒人には、「従順にしていれば大統領にしてやる」と捉えられたのだと、公民権運動家のジェームズ・ボールドウィンは語っている。
そこには、アメリカで黒人差別が根強く残っていて、社会的地位を望めない黒人が数多く存在している現実と、それを政治家含め直視しない白人という社会構造が顕著に表れている。
そして、この構造を把握したとき、政府が国民全体を直視しないのはアメリカに限らないのではと思ったのだ。
日本において、安倍前首相が「新規雇用を増大させた」と主張する一方、非正規雇用者の増加・正規雇用者との収入の格差増大を生み出したのは記憶に新しい。
私は黒人差別の問題を、遠くに感じたままでいいのだろうか。黒人差別について学ぶと同時に、自分が直視出来ていない姿が見つかっていくように感じる。
「何事も無関係だと捉えて生きたくない」そう気付かされた時間だった。
『私はあなたのニグロではない』公式サイト
3、共生の最前線
東京から電車に揺られること2時間半、群馬県大泉町に着いた。大泉町は、人口の10%以上を日系ブラジル人が占め、日系ブラジル人の一大コミュニティを有する。
近年は、町内の外国人の出身地はアジア各国に拡大している。黄色と緑色に塗装された真新しい駅には、6か国語で書かれた「ようこそ」の文字が掲げてある。
駅近くにある日本定住資料館では、「デカセギ」と呼ばれる日系ブラジル人の来日の背景、労働・生活環境に関する苦悩がありありと展示されている。
資料を見ていると突然、観光協会の方から声をかけられた。
「これからご当地グルメの試食会があるけど、食べて行かんか」
聞けば、前橋市の大学生がブラジル料理とコラボして、群馬県産のさつまいもを使ったパステル(小麦粉でできた生地に具材を入れて揚げたもの)を試作しているというのだ。試行錯誤を繰り返して、食べやすさやパステルの宣伝方法を検討している様だった。
パステルを試食しながら、観光協会の方に町の様子を聞いた。
「大泉町での共生はまだ道半ばだ」
この言葉と定住資料館の展示を重ね合わせると、大泉町が30年に渡って共生の最前線にいたことを実感した。前橋市の大学生・観光協会の方々は、様々な文化が交錯する大泉町において、それぞれの立場で共生を模索している。彼らとの出会いは私自身に「共生とは何か」を問いかけている。
2、食と暮らし
早大生の庭ともいえる高田馬場。ここが「リトルヤンゴン」と呼ばれていることをご存知だろうか—。
駅から歩いてすぐの路地裏にミャンマー料理店「ノング・インレイ」は店を構える。
薄暗い雑居ビルに足を踏み入れ店内に進むと、そこには異国情緒たっぷりのレトロな雰囲気が広がっていた。
1、食事を共にするということ
「Go To イート プレミアム付き食事券販売一時停止」
「飲食店 時短要請再び」
新型コロナウイルスの流行が「第3波」の様相を呈する中、こんなニュースが飛び交う。コロナ禍の今、友人や職場の同僚と食事を共にする機会が減ったという声は頻繁に耳にするだろう。
私はモーリス・ブロック(Maurice Bloch)の言葉を思い出さずにはいられなかった。
――あらゆる社会において、食べ物を分かち合うことは親密な関係を築く手段の1つである。反対に、それを拒むことは、相手との距離や敵意の最も明確な発現の1つとなる。
人類学者である彼は、世界の様々な社会におけるCommensality(=食事を共にするという行為)の意味を分析した。論文の中で、彼は1)食べ物の種類や調理方法の違いによってそれを共有することの意味が異なること、2)食べ物を通じた共有に関する考えと、出産や性交を通じた共有に関する考えの関係に注目している。(Bloch, M. 2005. ‘Commensality and poisoning’. In M. Bloch, Essays on Cultural Transmission. Oxford: Berg, pp. 45-59. Shelfmark: GN502 Blo.)
彼の論文では焦点を当てられていないが、テーブルマナー1つ取ってみても面白いだろう。例えば同じ器から食べ物をよそう時、気を遣ってお箸をひっくり返して使うことも、中華料理では失礼にあたる場合があるそうだ。Commensalityに関する考えの違いである。
食事を共にすることを社会的なつながりを生むツールの一つとして捉えること、そしてこれに関する相手の考えを尊重すること。これも、多文化共生への一歩かもしれない。