通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

「過ち」と向き合う

「背筋が伸びるよね、この国を守ってくれた人たちがそこにいると思うと」
父は靖国神社が好きだと言う。しかし私は、父と靖国神社の話をするとき、なんとなく心が曇るのを感じる。「この国を守ってくれた人たち」を祀る神社に参拝することは、どのような意味を持つのだろう。

 

靖国神社の境内には、遊就館という建物がある。遊就館では、戊辰戦争から太平洋戦争にかけての軍事史が記されたパネルとともに、各時代の「英霊」たちの遺書や遺品が展示されている。「英霊」とは、安政の大獄以後に国事に関連して死没し、靖国神社(前身の東京招魂社も含む)に祀られた人々を指す。

 

遊就館を見てまわっているとき、私は広島の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑を思い返していた。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
この碑文には、全人類の共存と繁栄、真の世界平和への願いが込められているそうだが、「英霊」を讃える遊就館の立場は、この碑文の立場と相容れない気がした。実際に、遊就館の入り口付近の石碑で英雄として紹介されているパール博士は、この「過ち」という表現を批判している。彼は極東国際軍事裁判の判事の一人として、連合国が敗戦国を裁く構造に反対し、日本の軍人、軍属全員の無罪を主張した人物だ。しかし、靖国神社に祀られる人々も含め、戦争で大量に犠牲が出た以上、「過ち」がなかったと言うことはできない。

 

靖国神社に祀られる人々は、国のために戦った「英霊」か、「過ち」を主導した「罪人」か。安易に決めることはできないだろう。国のために戦った人々を讃えることは、「過ち」から目を背ける行為に思える。しかし、日本の軍人、軍属のみに「過ち」の責任を問いたいわけではない。

 

一つ言えるのは、靖国神社に参拝するならば、漫然と手を合わせてはいけないということだ。考えなければならない。「過ち」とは何か。なぜ起きたのか。今後、どのように防ぐことができるのか。

 

「伸びた背筋で、いまの平和を見つめたいよね」
父に言えたら、心は晴れるだろうか。

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「特攻勇士之像」 遊就館の外で特攻隊を讃える