太陽の塔という「樹」
伊丹空港からモノレールに揺られ、窓を眺めていると、木々から不気味な顔がニョキっと出てくる。
モノレールが進むにつれて、どんどんその全貌が見えてくる。
太陽の塔だ。
いつもは京都の祖母の家にまっすぐ向かうが、今日は寄り道して塔の内部に入ると決めていた。
太陽の塔の中は空洞ではない。予想以上に鮮血色の派手な展示が万博当時からある。
結論から先に言うと、太陽の塔は、大都会のど真ん中に生えている縄文杉のような存在だ。
塔内部の中心には巨大な”生命の樹”が生えている。
樹の根本にはアメーバがいて、一番上の人類まで進化の過程が見て取れる。
命の流れ、そして根源は全て同じことを感じさせてくれる。
1970年の万博のテーマは「人類の進歩と調和」。言い換えれば「産業技術の発展が人類の幸せ」という感じだろうか。だが、太陽の塔をつくった岡本太郎は「人類は進歩していない」と公言している。
太陽の塔は万博へのアンチテーゼなのだ。
しかし、ただのアンチテーゼではない。太郎はこう述べている。
「けんかじゃない、うれしい闘いをやったわけ。アンチハーモニーこそほんとうの調和ですよ。」(梅棹忠夫『民博誕生』中公新書 1978年)
陰と陽のバランスで世界が成り立つことを暗示したかったのだろうか。
右派と左派、戦争と平和。
世の中は分離で溢れかえっている。
それらを超越した” 神話”を彼は太陽の塔という贈り物で、私たちに伝えている気がした。