通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

1、食事を共にするということ

 

「Go To イート プレミアム付き食事券販売一時停止」

「飲食店 時短要請再び」

 

新型コロナウイルスの流行が「第3波」の様相を呈する中、こんなニュースが飛び交う。コロナ禍の今、友人や職場の同僚と食事を共にする機会が減ったという声は頻繁に耳にするだろう。

 

私はモーリス・ブロック(Maurice Bloch)の言葉を思い出さずにはいられなかった。

 

――あらゆる社会において、食べ物を分かち合うことは親密な関係を築く手段の1つである。反対に、それを拒むことは、相手との距離や敵意の最も明確な発現の1つとなる。

 

人類学者である彼は、世界の様々な社会におけるCommensality(=食事を共にするという行為)の意味を分析した。論文の中で、彼は1)食べ物の種類や調理方法の違いによってそれを共有することの意味が異なること、2)食べ物を通じた共有に関する考えと、出産や性交を通じた共有に関する考えの関係に注目している。(Bloch, M. 2005. ‘Commensality and poisoning’. In M. Bloch, Essays on Cultural Transmission. Oxford: Berg, pp. 45-59. Shelfmark: GN502 Blo.)

https://antropologiasimbolicablog.files.wordpress.com/2017/05/25-bloch-maurice-commensality-and-poisoning.pdf

 

彼の論文では焦点を当てられていないが、テーブルマナー1つ取ってみても面白いだろう。例えば同じ器から食べ物をよそう時、気を遣ってお箸をひっくり返して使うことも、中華料理では失礼にあたる場合があるそうだ。Commensalityに関する考えの違いである。

 

食事を共にすることを社会的なつながりを生むツールの一つとして捉えること、そしてこれに関する相手の考えを尊重すること。これも、多文化共生への一歩かもしれない。

 

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