通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

第18のゴール「歴史を伝える責任」

5月末、欧州からあるニュースが届いた。


27日、フランスのマクロン大統領は訪問先のルワンダで、(謝罪はしなかったものの)1994年のルワンダ大虐殺に関するフランスの責任を認めた。
28日、ドイツ政府は20世紀初頭に当時の植民地ナミビアで犯した虐殺を正式に謝罪した。

 

 

歴史を清算し、見直すときが来ているのだろうか。

 

 

一方、東アジアは、いまだに歴史の傷を乗り越えることができていない。


6月4日。32年前の中国で、天安門事件が起きた日。だが、本土でこの話は「タブー」。歴史からは葬り去られている。つい最近まで自由の砦であった香港でさえ、国家安全維持法が施行されると、天安門事件の博物館は当面閉鎖され、30年以上続いた追悼集会は途絶えてしまった。


日韓をめぐっては、元徴用工問題や「慰安婦」問題が戦後70年以上たった現在でも、関係にひずみをもたらす火種を残している。


日本でも、近年「南京大虐殺はウソ」という主張や「ネトウヨ」の存在により、歴史認識にゆがみが生じていることは確かだ。かの安倍晋三氏でさえ、歴史教科書、「慰安婦」、南京事件問題に関し、否定的な立場から提言を行った「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の事務局長を務めていたというのだから、日本の「正しい」歴史認識は危ぶまれていると言えるだろう。

 

 

真実としての「正しい」歴史は、どうして「正しく」伝わらないのか。

 

 

そんなことを思い、ふと昨年ルワンダの虐殺博物館で耳にしたことを思い出した。

 

 

ルワンダでは、虐殺のことを信じない子どももいる」

 

 

考えてみれば、紛争を知らない世代が、痛ましい事実を振り返ることはそう簡単ではない。ゴミ一つない綺麗に整備された車道、夜には光り輝くネオンのもとで生まれ育っていれば、普段の生活から「虐殺」の歴史を想像し読み解くことは不可能に近いだろう。

 

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学校の休み時間。並んで座っている子どもたちは井戸端会議でもしているのだろうか。

 

 

だからこそ、歴史教育や戦争・紛争教育には、当事者からの「正しい」歴史認識を教え、そのうえで「もしも」の想像力を働かせることが必要であるのではないかと考える。 


SDGs」という単語が先走りし叫ばれる現代社会。将来の世代への責任が問われる今、「正しい」歴史認識を伝えるという責任があってもいいのではないだろうか。その責任は、無論現代社会を構築している大人にある。

 

 

過去の「黒い」史実は、むしろ「正しく」語り継ぐことによって、未来の社会において二度と人類にとって悲しい歴史を生み出さないために、反省するための貴重な材料として活かすべきなのではないだろうか。

 

 

「コロナ禍」、「VUCAの時代」...複雑な現代社会は、日々不安が伴う。
不安が他者への攻撃を生み出し、大きな過ちを生み出さないために。
現代を生きる若者に、「過去から学ぶこと」は、託された宿命であるだろう。