通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

心の壁

 アイデンティティという言葉をよく耳にすることがあった。大学の授業でもちろん、自分と似ているまたは違うアイデンティティを持つ人とも散々関わってきた。その言葉を完璧に理解したわけではないが、自分なりに解釈することができたような気がしていた。そしてコンプレックスなく、その解釈の中で日本で10年間暮らしてきた。どこの出身ですかのような質問に対して、迷いもなく中国です、中国人ですっと答えることができたが、ベトナムラクホン大学で交流会で初めて躊躇した。

 

 「あなたは中国人ですか」という今まで何度も聞き慣れた質問だったが、「はい」を言うのを少しためらった。今までなっかた感覚に襲われた。なんで迷ったのだろう。自分は何を恐れていたのだろう。先日の観光地のツアーガイドさんの中国に対する微妙な嫌悪感を覚えているからかもしれない。それとも、日本の早稲田大学の一員として歓迎された私の正体を隠したかったのだろうか。日本人ではないことがその場の雰囲気を壊すのが怖かったかもしれない。あの時の少しの躊躇から恥ずかしさを感じた。まだ自分に素直に慣れないんだっと。恐怖感すら感じた。それまでの「私」を囲んで、守っていた壁が崩れ落ちた音が聞こえたようだ。

 

 そんなことを思う中、交流会は好調で続き、私を異質と扱われることなく、熱心に話を聞いてくれるベトナム人の学生たちがいた。が、やはり周りとは別の世界にいるような気がした。その時にふと考えた、マイノリティは他人と関係なく、自分での意識によって成り立つなんだっと。