通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

不安と共に生きる

2021年3月、私の元にある嬉しいメッセージが届いた。

名古屋大学の大学院に合格しました!全てが順調に進めば、来月には日本に行けると思います。会えるのを楽しみにしています。」

約一年前、私がインドネシアで日本語を教えていた時の生徒からのメールだった。当時彼女になぜ日本語を学んでいるのか尋ねると、「日本の大学院に行きたいから」と夢を恥ずかしげに語ってくれた。私が去った後も日本語を勉強し続け、自分の夢を叶えていたとは。メールを読み、自分のことのように嬉しくて跳んで喜んだ。

インドネシアへは日本語や日本文化を教えることを目的としたボランティアという形で渡航した。日本語学校で平均年齢が自分より歳上の人に日本語を教えることは初めてで、日々反省の繰り返しだった。生徒が日本語を勉強する理由は、日本でうなぎビジネスをしたい、日本の大学院で海洋学を学びたい、日本人の会社員とよく会う機会があるから…など様々だ。彼らが仕事や勉強の傍ら、夢のために日本語を熱心に勉強する姿は今も忘れられない。

日本語学校の生徒や先生達は非常に親切にしてくれ、授業のない日は色々な場所に遊びに連れて行ってくれた。異国の講師という存在の私に彼らが分け隔てなく接してくれ、コミュニティの一員として迎えてくれたことが何よりも嬉しかった。

そして気がつけば帰国日、あっという間の6週間だった。生徒達にもらった手紙を手に、寂しさを感じながらインドネシアを後にした。ちょうどこの時期に世界でコロナが猛威を奮い始め、閑散とした空港はある意味不気味でさえあった。

日本に帰ってきた直後は、インドネシアで感じた人の暖かさとコロナ禍の日本の閉鎖的な生活に大きなギャップを感じていた。まさに"現実に引き戻された"という感じである。

今考えると、この帰国後辺りを境に自分の生活が変化したと思う。行動面では、一人の時間を楽しんだり、ネットやSNSを見たりする時間が増えた。同時に、精神面では言いようのない不安を感じることが多くなった。コロナ以前より一人の時間ができ、考えることが増えたからかもしれない。友人や家族との普段の会話でも、他愛のない会話の中に「不安」を語ることが増えた。コロナ以前から元々あった得体の知れない不安が、コロナという未曾有の事態にぶつかって大きくなったのかなとも思う。

これを読んでいる人にも、何かしら言いようのない不安を抱えている人はいないだろうか。人間だから不安を感じるのは当然のことだし、それは避けられない。不安を和らげる方法は人それぞれだが、私の場合は趣味に打ち込むか、人と連絡を取り合ったり雑談をしたりするようにしている。人と話すことで気の持ちようが変わり不安が和らぐので、やはりコミュニケーションは大事だと感じる。

この先どうなるかなんて誰にも分からない状況だからこそ、不安と共にうまく生きる方法を見つけることが重要なのかもしれない。

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