通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

居場所

 

日本に来て早10年。自分の居場所は一体どこなのか。日常生活は日本語。しかし家に帰れば韓国語。どちらが母語なのかわからなく来ている。今まさに人生の半分を日本で過ごした。日本に何年住んでいるの?とよく聞かれることがある。10年と答える。そうしたら必ずと言ってもう「日本人」だねと言われる。こんなことを言われるたびに自分の居場所がわからなくなる。「日本人」とはなんなのか。日本で生を受けた人が「日本人」なら私は「日本人」ではない。では日本に長く住んでいる人は日本人なのかと言われても、それは違う。日本でも韓国でもどちらにも属しているからこそ、どちらにも属していないように感じてしまう。自分は周りとは違う。

自分のことを心から「韓国人」かと言われたら少し躊躇してしまう。人生の半分を日本で過ごした私は韓国のお友達より、日本のお友達が多い。尚更自分の居場所がわからなくなる。この意識は尽きることはなくこれから日本で住んでいくうえで、さらに感じていくもどかしさである。この感情は自分だけでなく長い間日本に過ごしている在日外国人はみな必ず一度は感じたことがあるだろう。

日本に来て1週間後に学校に通うことになった私は最初全く日本語も話せず、韓国に帰りたいと思っていた。しかし1年である程度話せるようになり、友達もたくさんできるようになったことで、自分にも日本での居場所ができた。私が思う「居場所」とは結局自分が話す言語が通じるか通じないかが大事だと思う。日本語を話せないうちは日本を居場所として捉えることはできなかったが、今では日本は自分の居場所の一つでもある。だからこそ言語の壁を乗り越え、結婚や友達にある人々はすごいと思う。