通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

コロナで失われたモノ、変わらないモノ

「友達がいる国に爆弾は落としたくないよね」

私はこの言葉がシンプルで分かりやすい平和への意思だと感じる。

 

2020年3月。

新型コロナウイルス感染症が拡大し、対面活動が制限される日常が始まった。それは平和活動においても例外ではない。

私が学生ボランティアとして活動している、世界の中高生の交換留学と国際交流を支援する団体も、全ての対面事業と留学プログラムが中止となった。

いつもバタバタしながらも活気に溢れていた団体は、信じられないほど静まり返ってしまった。留学のオリエンテーションや国際交流のサマーキャンプを企画・運営している学生ボランティアである私たちも、途方に暮れていた。

 

けれど、私を含めた学生ボランティアたちは、ただ単に国際交流事業を運営・企画したくてこの団体で活動している訳ではない。

多くの学生ボランティアは、自分が中高生の時に、団体の留学プログラムに参加したり、国際交流のサマーキャンプに参加したりしている。そこで、それぞれが自分なりに何かを感じ、自分の中の何かをガラッと変えられている。

だからこそ、学生ボランティアは実体験として、異なる文化的背景を持つ人が出会い、交差する場とそのきっかけのかけがえのなさを知っている。そして、そんな場ときっかけを作ってくれた歴代の学生ボランティアのように、私もその場を作りたいと思い、大学生になったら学生ボランティアを始めるのだ。

 

そんな想いと動機があるからこそ、コロナ禍であろうとも、オンラインであろうとも、歴代の学生ボランティアが繋いできた「場作り」のノウハウや想いのタスキをここで切ってはならない。その意思が集まり、学生ボランティアを中心に団体はオンラインで少しずつ動き出した。

 

 

そして9か月後の2020年12月。

私たち学生ボランティアはやっと大規模な、オンラインの国際交流イベントを実施することが出来た。参加者は、コロナ禍でもどうにか来日してくれた留学生と、全国の日本人の中高生だ。

 

しかし、私たちは不安でしかなかった。オンラインでしかも初対面の参加者が、濃い交流を出来るのかという懸念があったからだ。

実際、オンラインイベントをやってみると、やる意義は感じつつも、消化不良。対面イベントのように濃く、最後には涙を流して別れるような熱さが生まれない。

 

そう思っていた、イベントの閉会式。ある留学生が、Zoom画面の右下で控えめに手を挙げた。

 

「私には言いたいことがある。……みんな私のためにありがとう。コロナは私の留学を難しくした。やなこともあった。学校行けないし、バレー(部活動)もできない。けど、今日は友達できた、楽しかった。私もフィンランド(彼女の母国)に帰ったら、日本の話沢山するね」

 

…ちゃんと伝わってたんだ。そう思ったら、画面がにじんできた。でも他の参加者も我も我もと感想を話し始める。みんな落ち着いて…(笑)

 

 

コロナで失われたモノは沢山ある。かけがえのない人を失った人もいる。

平和活動においても、対面だからこそ出来る人と人がまっすぐ向き合い、交流できるような空間の可能性は失われた。

 

けれど、平和への意思はコロナ禍でもオンラインでも人が交わり続ける限り、その想いは紡がれ続ける。

それは変わらないモノ。だからこそ、私たちはその意思を今できる方法で形にしていく。