アーレントかアイヒマンか
私はサークルでよく「アーレント」と呼ばれる。名前がハンナ・アーレントに似ているからだ。
ある日の大学の授業でちょうどハンナ・アーレントについて学ぶ機会があった。彼女はユダヤ人の思想家で、「悪の凡庸さ」という概念を後世に残している。ユダヤ人大虐殺を行った首謀者のアイヒマンという人物は戦後の裁判で自分は「ただ上の指示に従っただけだ」と答えた。このことからアーレントは、世界最大の悪は何も考えずただ上に従った人間であり、ごく平凡な人間であることを明らかにした。それが「悪の凡庸さ」である。
正直ギクッとした。「悪の凡庸さ」と聞いて、米国の高校に2年間単身で留学をしていた時の自分を思い出したからだ。
知らない新たな文化をたくさん学ぶことができた。しかし、1番心に残っているのは批判的思考の仕方を知らない自分自身と対峙したことだった。
American Studiesというアメリカの政治や歴史について学ぶ社会のクラスがあった。そこで先生に、自分の政治思想を教えてくれるオンライン診断 "Political Compass"を受けさせられた。次のような質問の数々に当時の私は賛成か反対かで答えていった。
「不法移民は直ちに逮捕するべきだ」
私は迷いなくAgreeを押した。「え、だって犯罪をしっかり取り締まらなければ治安が守られないもん」と思ったからだ。当時の私は移民の権利は守られるべきだと思っていたが、不法移民は守られなくても仕方がないと思っていた。文字通り「不法」だからである。
「近頃は水を飲むだけでも消費者としてボトルに入った水を買わなければならないのは社会の悲しい一面だ」
... 少し迷ってDisagreeを押した。「うーん、でも質の良い水が安い値段で手に入るのは便利だし良いことじゃないのかな?」と思ったからだ。
そんな調子で質問に答え続けて私が得た結果は
“Authoritarian Right”
つまり権威主義右派。「独裁政権やファシズム支持者」などが当てはまる領域の政治思想だった。目を疑った。何かの間違いかと思ったが、そうではなかった。あの頃の私は自分が平和で平等な世界を望むリベラルな人間だと思っていただけあってショックだった。留学しようと思ったのも、より平和な世界を築くためのヒントを得たかったからだった。
平和、平等とは何だろうか。私が思い描いていたのは日本目線で、かつ比較的恵まれた人間としての平和や平等に過ぎなかったのではないだろうか。留学を終えて、大学に入って今までの自分の考え方の狭さ、おかしさに色々気付かされた。私の中には生まれてから高校二年生までずっと日本で教育を受けてきて、無意識のうちに培われてきた歪んだ愛国心と正義感があった。そしてそれは愛すべき隣国や世界の人々を大きく敵に回しうる狭く間違った正義であり、ごくごくつまらない、しかし将来恐ろしく牙を剝く可能性のある平凡な悪だった。そして1番恐ろしいのは、自分がそのような思想傾向を持っていたことに、留学するまで気づかなかったことである。悪気のない悪ほど恐ろしいものはない。
アーレント?とんでもない。私はれっきとしたアイヒマンの卵だった。今の大学とゼミでの学びがなければ、私もまた凡庸な悪を心に宿した偽善者の一人となっていただろう。
P.S. 私が留学先で受けたオンライン診断を一番下に添付しておくので、興味がある方は是非受けてみて欲しい。