通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

越境を始める虹の都

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虹の都、光の港、キネマの天地

1929年に映画の主題歌として発表された歌謡曲、『蒲田行進曲』の冒頭の歌詞である。流行歌となって以降、この曲は蒲田という街を代表するものになっていった。

 

東京都大田区の南、多摩川を挟んで川崎の反対側にある蒲田。その東側には東京の空の玄関口が鎮座している。電車を使って空港に行く人は、この蒲田という街を必ず通る。そういったこともあり日本にやって来た人が住む場所として蒲田を選ぶことも少なくないという。しかし、だからと言って蒲田が多国籍な街かと問われても、迷わず首を縦に振ることはできない。

私が最初に蒲田という街に来たのは、15年以上前のことである。おぼろげな記憶だが中国語が色々な所から聞こえてきたことを覚えている。中国語が飛び交う街は横浜に池袋、西川口と首都圏にもたくさんあるが、私にとっては蒲田が初めてだった。今でも私は何度か蒲田に行くことがある。中国語が聞こえてくるのは初めてきた当時と変わらないが、何回か来る中で別の印象が根付いてきた。池袋や横浜などの街と蒲田が同じようには見えないのだ。ここには区役所があり、昭和の頃から続く商店街があり、夜にはバーやクラブのサインが光り始める。区画によって、時間帯によって、蒲田の色は常に変化しているように感じた。様々な建物が立ち並ぶ唯一無二の街並みを形成しているように思えてきた。これほど一言で言い表すことができない街は他に見たことがない。

 

冒頭で紹介した『蒲田行進曲』、蒲田駅のメロディーとして使われているため、小さい頃から蒲田を通る時によく聞いていた。だがその歌詞を初めて聞いた時、虹の都は蒲田のことだと考えていたが、何を表すのかがわからなかった。それが今では自分なりの答えを見出せた気がする。この蒲田という街は、様々な人が様々な建物で生き、様々な色を作り出す。決して1色に染まることはない。これこそが虹の都なのだと感じた。そしてその東にある「光の港」が輝く中で、更に様々な国の人たちが様々な文化を蒲田に入れていく。虹の都は今越境をはじめ、より色鮮やかになろうとしている。