アイデンティティの行方
「日本人らしいね。」この言葉を強く覚えている。
こう言われたのは3年前の春休みにイタリアへと訪れた時のことである。
難民支援を目的に6週間滞在していたうちの2週間目で施設の人に言われた。
私はイタリアに到着してからずっと、日本人らしく振舞ってはいけないと心のどこかで感じていた。
「日本人は平和ボケしている」という言葉から「日本人だと思われたら舐められる」「お金を取られる」と警戒していたからである。(特にイタリアは詐欺やスリが多いので警戒していた。)
海外で日本人らしさを出すこと=自分が不利になることだと感じていた。実際、初日にちょっとした事件に巻き込まれかけた時「日本人だとバレたから舐められた」と思い、日本人であることを生まれて初めて恨んだ。
そうやって、できるだけ日本人らしさは隠しながら、なんなら自分のことは中国人だと思い込んで、ニーハオなんて言いながら2週間。「あなたは日本人らしいね。」こう言われたのである。
言われた瞬間は、絶望感でいっぱいだった。次に続く言葉を聞くのが怖かった。
「先進国からやってきて、お気楽だね」?「自分の意見を全く言わないね」?
しかし、実際続いた言葉は全く予想と違う言葉だったのである。
「あなたは日本人らしいね。椅子を必ず机の下にしまう、挨拶やお礼をちゃんと言う、小さな気遣いが素晴らしい。まさに日本人の素敵な心遣いだわ。」
そんなところまで見られていると思わなくて、驚きすぎてしまって、当時はありがとうと返すので精一杯だった。日本人であることをイタリアへ来て初めて誇りに思った。
越境して自分が”外国人”になったからといって、自分のアイデンティティを隠してまで、現地に溶け込む必要はないのだと暖かさを感じた経験だった。
しかし一方で、越境をして私のようにアイデンティティを受け入れて素敵だねと言ってもらえる環境に誰もがいるだろうか、と悲しくなった経験でもあった。