被災地からの警鐘
1枚目の写真は宮城県石巻市の南浜地区の現在の様子である。この、家屋が点々とありながらも広大に広がる土地には、10年前まで民家や工場がびっしりと並んでいのだ。
現在受講中の演習を開講している先生の主催で石巻の被災
私たちが巡ったのは、
1人は当時6歳の娘さんを失くした女性だった。
もう1人は津波で多くの犠牲者を出した北上町の大川小学校のPT
東日本大震災全体を考えるとき、2人の被災者の話は震災で無数に
3枚目の写真は、所変わって四国の高知県中土佐町の久礼(くれ)という街である。
震災から10年、
日本スポーツのグローバル化
「トンガ」(正式名称はトンガ王国)という国を皆さんは知っているだろうか。ポリネシアに属する人口10万人程度の小さな島国だが、日本のラグビー界隈ではこの国を知らない人はいないと言っていいほどである。
なぜなら日本のラグビー界にはトンガ出身の選手が非常に多く在籍しているからだ。もちろん学生ラグビーでも高校、大学と私が知っている限りでも数十人はいるだろう。
私が初めてトンガ人と触れたのは高校生の時。試合の相手校にトンガからの留学生選手が何人もいた。彼らは一般的な日本の高校生ラガーマンの身体つきを超越しており、体重100キロ越えは当たり前。中には120キロを超える選手もいた。そんな彼らが全速力で自分に向かって突っ込んでくる。吹き飛ばされたことも何度もある。正直に言って、生きた心地はしなかった。
当時、外国人留学生を反則扱いするような意見はよく聞かれた。特に保護者からは「一緒にプレーしたら危ない」「一生懸命練習している日本人の高校生がかわいそう」など否定的な意見も多かった。特に印象的だったのは相手校のベンチでトンガ国旗が振られていたことがあった。「なんだあれは。」「もはや日本の学校ではない。」そんな声も聞こえてきた。
しかし彼らは純粋に一生懸命ラグビーをやっているだけ。何人ものトンガ出身の選手が日本で活躍する背中を見て、日本での成功を夢見て母国を飛び出した選手も多いことだろう。
実際に話してみるとても優しい選手が多く、怪我をしたときには「大丈夫?」と近寄ってきてくれる。そんな印象だ。彼らがそんなことを言われるいわれは無い。
ラグビー日本代表にも見られるように、日本のラグビー界には様々な国にルーツを持つ選手が多く在籍している。また、大阪なおみ選手、八村塁選手、サニブラウン・アブデル・ハキーム選手のように日本以外にもルーツを持つ選手の活躍が多く見られるようになってきた。今後、他の様々なスポーツでも日本以外の国にルーツを持つ多くの選手が日の丸を背負って戦う日もそう遠くないだろう。
また、最近では様々な学生スポーツ(特にラグビー)において、外国人留学生を積極的に呼び込み、留学生を中心とした戦術で強化を図って、全国の舞台で活躍する学校もたくさん現れた。現に、昨年の全国大学ラグビーフットボール選手権のトーナメント出場14チーム中、9チームに外国人留学生が所属していた。
日本スポーツ界のグローバル化。その変化の真っ只中なのだ。
数字と記憶
私たちは、人生を重ねるごとに特別な意味を持つ数字が心に刻まれ続ける。
これは人類全体をとっても、忘れられない特別な出来事は、数字をもって人類史に刻まれ続けていく。
数字は世界人類共通、一番通じる記号の概念だ。しかも言語や文化に興味がない人でさえも数字というのは自分の生活、ひいては生存に関わる強い力を発揮する。
そして数字は私たちに大切な過去の記憶について教えてくれる。
アフガニスタンでのニュースを聞いていると、911の数字を思い出してしまう。911アメリカ同時多発テロ事件が世を脅かした時、私は1歳だった。
大手町のビルの合間には911テロで亡くなられた遺族の慰霊碑がある。
これは、みずほ銀行の前身である、富士銀行ニューヨーク支店の犠牲者のために設置されたものだ。亡くなられた12名の姓名がそこに記されている。
海外で仕事をすることにワクワクしたり、高い志を持つ若者は多い。当時もそんな若者がここ日本から10840km離れた地で目を閉じた。911の数字を大切に繰り返すのは、悲惨な歴史を学ぶだけではなく彼らのことを記憶しようと試みることでもあるのだ。
人類は繰り返してはならない特別な記憶を、繰り返される数字に頼りながら継承してきた。毎年やってくる数字によって、事実と構造を思い出すことだけではなく、当時を生き抜いた人々に心を寄せ、違う世界に生きていながらも彼らの目線に立つ努力をしてみる。
これは過去の記憶をつなぐことだけではなく、今同じ時代を生きている人々の間でもできることだ。私たちは常に誰かの記憶と共有しながら自分の人生を生きているのだ。人間はひとりで苦しみを抱えることはできない。ひとりでは決して生きていくことができないことを忘れてはならない。
見えないルール
『民主主義ってなんだっけ〜?』
私と同い年くらいの男性が、友人と笑っていた。
現在、東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTにて、【ルール?展】が開催されている。
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【ルール?展】
会期: 2021年7月2日(金)~11月28日(日)
休館日: 火曜日
開館時間: 平日11:00~17:00、土日祝11:00~18:00
入館料: 一般1,200円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料
ホームページ: http://www.2121designsight.jp/program/rule/
(2021年9月7日現在の情報)
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8月上旬、友人と昼過ぎに向かったが、整理券が配られており、15時以降に再チャレンジすることとなった(現在は事前予約制)。
定員入替制かつご時世も混雑の理由としてはあげられるが、何よりも人が多い。
同い年くらいのお洒落な人達がポスターの前で入れ替わり立ち代わり写真を撮っている。
読む、触る、見る、意見交換をするなどの多様な体験を通じて、様々なルールを体感し、見つめ直すことができる。
ここでいう〝ルール〟とは、『憲法や法律、社会基盤となる公共インフラや公的サービスから、当事者間の契約・合意、文化的背景に基づいた規則やマナー、家族や個人に無意識に根づく習慣、また自然環境の中から生まれた法則(ホームページから引用)』である。
様々な展示の中でも特に人気だったのは、参加体験型の来場者アンケートである。
10数名がひとつの部屋に集まり、壁に移されるアンケートに回答する。
回答方法がユニークであり、選択肢が床に映し出され、自分の足で動き、選んだ枠内に入るというものだ。
アンケート内容は政治に関するものが多かったと記憶している。
普段友人とは語り合わないような、普段友人には自分の意見を主張しないような内容である。
私自身、回答するのは少し小っ恥ずかしかった。
特に印象的だったのは、民主主義に関する質問である(詳細を知りたい場合は、是非来場してみてほしい)。
回答を求められた時、私の前にいた同い年くらいの男性が、『民主主義ってなんだっけ〜?』と笑っていた。
その時私がずっと見学中に感じていた違和感の正体がわかった。
私たちはちゃんとこの展示を作った方々が伝えたい主張を受け取ろうとしていたのだろうか。
先程の彼は、帰宅してから民主主義の意味を調べたのだろうか。
Instagramで#ルール展を検索すると出てくる、映えた写真の投稿者は、何か学びを得ていったのだろうか。
小さな憤りを感じた。
しかし冷静に考えてみると、その憤りこそ、見えないルールに縛られ、それに気づくことが出来なかった愚かさゆえのものではないだろうか。
国語の授業では、文章を読み、作者の主張を、自己流ではなく、正しく読み解くことが求められた。
美術の授業では、作品を見て、作者の主張を、自己流ではなく、正しく読み解くことが求められた。
小さな頃から傍にあった、そのルールに気づくことが出来なかった。
何故自分らしく鑑賞することが許されないのか、数分前の自身と対立することとなった。
自身の中で強い感情が生まれたとき、その原動力がなんなのかを冷静に見つめ直すという、
〝私だけの新しいルール〟
が生まれた。
アイデンティティの行方
「日本人らしいね。」この言葉を強く覚えている。
こう言われたのは3年前の春休みにイタリアへと訪れた時のことである。
難民支援を目的に6週間滞在していたうちの2週間目で施設の人に言われた。
私はイタリアに到着してからずっと、日本人らしく振舞ってはいけないと心のどこかで感じていた。
「日本人は平和ボケしている」という言葉から「日本人だと思われたら舐められる」「お金を取られる」と警戒していたからである。(特にイタリアは詐欺やスリが多いので警戒していた。)
海外で日本人らしさを出すこと=自分が不利になることだと感じていた。実際、初日にちょっとした事件に巻き込まれかけた時「日本人だとバレたから舐められた」と思い、日本人であることを生まれて初めて恨んだ。
そうやって、できるだけ日本人らしさは隠しながら、なんなら自分のことは中国人だと思い込んで、ニーハオなんて言いながら2週間。「あなたは日本人らしいね。」こう言われたのである。
言われた瞬間は、絶望感でいっぱいだった。次に続く言葉を聞くのが怖かった。
「先進国からやってきて、お気楽だね」?「自分の意見を全く言わないね」?
しかし、実際続いた言葉は全く予想と違う言葉だったのである。
「あなたは日本人らしいね。椅子を必ず机の下にしまう、挨拶やお礼をちゃんと言う、小さな気遣いが素晴らしい。まさに日本人の素敵な心遣いだわ。」
そんなところまで見られていると思わなくて、驚きすぎてしまって、当時はありがとうと返すので精一杯だった。日本人であることをイタリアへ来て初めて誇りに思った。
越境して自分が”外国人”になったからといって、自分のアイデンティティを隠してまで、現地に溶け込む必要はないのだと暖かさを感じた経験だった。
しかし一方で、越境をして私のようにアイデンティティを受け入れて素敵だねと言ってもらえる環境に誰もがいるだろうか、と悲しくなった経験でもあった。
スポーツの可能性
新型コロナウイルスが日本で爆発的な拡大を広げる中、東京でスポーツの祭典である「東京オリンピック2020」が開催された。私は非常にワクワクしていた。いろいろなスポーツのトップレベルな戦いを日本で見ることができることに嬉しさを感じた。
部活の合間にテレビでオリンピックを見ていると、選手同士が国のために戦った後にすごく仲良くしている姿を見て不思議な感覚を覚えた。言語も文化も違う人々がどうしてここまで親しくなれるのだろうか。
そういえば、私が高校2年生の時に日中韓交流大会に参加をして日本を背負い他国と戦った時のことを思い出した。私も自国のために死闘を繰り広げた。それに加えて、日本は中国と韓国との関係性があまり良くなかったので変な緊張感もあった。試合も戦場に向かうような気持ちだった。しかし、試合終了の笛が鳴ったと同時に相手チームとどこか打ち解けられたような、お互いの壁が崩れるような感覚があった。試合後にみんなで笑顔で写真を撮ったりもした。
スポーツって言葉を使わないけど、コミュニケーションをとるための道具として使えるのかなと思った。いろんな国の人たちがスポーツを通じて交流できたらどんな世界になるのだろうかと考えた1日だった。
(当時流行ったTTポーズを韓国代表と一緒に)
労働者に求められる「当たり前」
採用選考は無いのに、働くことを拒絶される。
それを私は目の当たりにしてしまった。
私は、とある人材派遣サービスの登録会に参加していた。
業務内容は倉庫内での軽作業。履歴書不要で面接も無く、働きたい時にすぐに働けるという好条件のアルバイトだ。
登録会は、雇用契約書の記入から始まった。
進行役の社員は、参加者の反応を確認することなく記入方法を早口で説明していく。ほぼ毎日開催されている登録会にすっかり慣れてしまっているようだ。
「説明が早すぎる」
そう思って顔を上げると、私の向かい側の席に座っている女の子があたふたしている様子が目に入った。彼女の横では、女の子より少し年上らしい男性(兄?)が、一緒に書類を整理しながら何か話しかけている。聞き馴染みのない発音、話し方だった。
2人の様子に気付いた社員は一旦説明を止め、しばらく彼らと何かを話した。そして最後に冷たくこう言い放った。
「1人で意思疎通が取れないのであれば、業務に参加することは出来ません。」
男性が女の子に話していた言葉は、日本語では無かった。おそらく目の前の女の子は、日本語の聞き取りが苦手なのだろう。そしてたった今、「サポートが無ければ日本語での意思疎通が難しい」というだけで、労働の機会を失った。「選考無し」なのに。
日本国籍以外の者でも在留カードさえあれば登録出来るとされているし、採用条件に「日本語が自由に使えること」なんて言葉は全く書いていなかった。
日本語での意思疎通が出来ないのは、人材派遣としては何かと面倒だから。そんな理由で断られたのだろう。
日本で働くなら日本語は自由に使えるはず。
果たしてこれを「当たり前」だと言い切って良いのだろうか。
そもそも倉庫での軽作業は、コミュニケーションの少ない単純作業であることが多い。作業内容を正確に理解することが出来れば、誰でも出来る仕事であるはずなのだ。
「日本語で伝えられる作業内容を理解する」という壁さえ乗り越えられれば。
その壁を自力で乗り越えられない者は労働すべきでないと言われてしまえば、彼らにもう居場所はない。
雇う側がその壁を取っ払うことは出来なかったのだろうか。
この場を去る2人の後ろ姿は、とても寂しそうに見えた。