通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

私たちは「日本語人」  HANA

 合宿4日目。私たちゼミ員24人はベトナムホーチミン近郊のある大学日本語学科の200名余りが参加する交流会に向かっていた。

 バスの中でふと思い返した出来事があった。私は以前、ベトナム現地で日本語の交流会を行うサークルに所属していたため、同様の交流会を何度も経験してきた。その中で、日本から来た学生は現地の方からこのように言われることがよくある。

「では、日本人の皆さん舞台の上へどうぞ。」

 私のサークルは、基本的に全員日本語ができる。しかし、留学生や外国ルーツの学生も参加しているサークルであったため、正確には全員を「日本人」と括ることはできない。このことに関して私はずっとモヤモヤとした気持ちを感じていた。彼らからみたら日本語を話せる私たちは日本人かもしれない。しかしその中の数人は、決して「日本人」ではないのだ。

 似たような経験を2日目に参加したクチトンネルツアーの道中のバス車内でもした。現地ガイドが流暢な日本語でベトナムと中国の関係を冗談交じりに、しかし確かに、中国に対する嫌悪感を表した時も、「日本語をわかる人=日本人」、「日本語でツアーに参加する人=日本人」という意識が彼の中にあったのだろう。だが、それぞれが多様なバックグラウンドを持つ私たちを〇〇人と括ることはできないし、何かで括って欲しくない。実際にそれを聞いていた私たちの中には中国のルーツを持つ友人もいた。グローバル化の流れの中で国籍や出身でグループを括るのは、今後さらに難しくなるだろう。

 では、あえて私たちを〇〇人と表現するとして、なんと表現すればよかったのか。

 私は、「日本語人」という言い方を知って以来、この表現が好きだ。日本語人とは、人種や国籍などに関わらず、日本語という共通の言語で繋がる人たちのことである。

 今回の交流会は、ベトナム現地大学と私たち大学の、「日本語人学生」の交流会であり、日本ではないベトナムという場所で、新たな日本語人ネットワークが形成された交流会だった。ぜひ、私は「日本語人」なんだ、と日本語に触れるみなさんに、少しでも気に留めておいて欲しいなとこの文章を書きながら改めて思う。

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現地学生に教えてもらいながら作った揚げ春巻き。私たちはお好み焼きを振る舞った。