通〜ぶりズム

街を通ぶって歩く、通〜ぶりストたちによるブログです

想像力がもたらすもの

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本当に辿り着くのだろうか。

窓から見慣れない景色を眺めながら、私はドキドキしていた。必死に耳を傾けていた車内アナウンスが目的地を告げた。無事到着したようだ。

駅から徒歩20分。とても近いとは言えない距離に、私はバスで向かった。

 


到着したのは「東京大空襲・戦災資料センター」(https://tokyo-sensai.net)。

戦争や東京大空襲の体験を生存者の方々が映像、体験記、絵画を通して伝える場所だ。

そこにはデータだけでは知ることのできない一人一人の暮らしがあり、写真では表現できない当時のリアルな描写には何度も鳥肌が立った。

 


それまでの人生、逃げていた時に見えていた景色、空襲後に歩んできた人生はそれぞれ違っていた。もし自分がその当時を生きていたら、もし生き残ったとして果たしてその後強く生きられるのだろうかと想像力が掻き立てられた。同時に生存者の方々の過去の辛い記憶を後世に伝えていかなければならない責任と葛藤を感じた。

 


そもそも、東京大空襲が起こったのは、1945年3月10日(土)未明。2時間半あまりで現在の東京23区にあたる街並みが焼き尽くされ、約100万人が被災し、約10万人が犠牲となった。

 


犠牲になったのは、日本人だけではない。

体験記の中には朝鮮人の生存者の方々のものもあった。日本の韓国併合による軍事工場・軍事施設での強制労働や出稼ぎなどの理由で来日していた方たちだ。

そして、朝鮮人の犠牲者数、被災者数は未だに不明だ。朝鮮人の遺体は、身元も確認されないまま日本人と一緒に埋葬されたり、海に流され、故郷に戻ることはなかった。データ上にはいない被災者、犠牲者が確かに存在していたのだ。データの裏側には何があるのか常に考えなくてはならないと思わされた瞬間だった。

故郷で帰りを待つ亡くなった朝鮮人の家族の気持ちを完全に理解することは難しいものの、私自身、朝鮮人の犠牲者の家族が置かれた状況を他人事として捉えることはできなかった。コロナ禍の中、父が海外で勤務している状況とどこか似ていて、彼らの気持ちを身近に感じることができたからだ。

 


自分とは直接的には関係ないと思ってしまいがちなことも、自分の目で見て感じて考え、想像することで「自分事」として捉えることが可能になるのではないか。そして、今まで見えなかったものも見えてくるのではないかと考える。

コロナ禍の時代では、差別やいじめなど簡単に人を傷つけることが日常的に行われている。これも、人々の想像力の欠如から起きているのではないだろうか。感染者が急増し、さらなる混乱が懸念されている今だからこそ、想像力を持つことがより一層強く求められている気がした。